五輪
館長コラム
2021.09.03
令和3年9月号
五輪
昭和39年10月10日戦後の復興の象徴として東京五輪が開催された。ブルーインパルスにより五輪のマークが空に描き出された。その後57年の時を経て7月に東京五輪、8月にパラリンピックが開催された。
稲津中学校(現瑞浪南中学校)にまだ体育館がなかった時代、狭いグラウンドで野球部・ソフトボール部・軟式庭球部が活動していた。「長嶋選手・王選手」などプロ野球選手にあこがれ白球を追った。昭和45年夏休み明けに野球部・軟式庭球部が廃部となった。そして新たに男子バレーボール部が誕生した。今思えば子どもに人権などなかった時代かもしれない。
野球部が廃部となった数年後に将来のオリンピック選手が稲津中学校に入学してきた。彼も野球が好きで入学してきたが野球部がなく、バレーボール部に入部した。高校生になった彼は、全国に名をはせる選手に成長した。その後大学・社会人でバレーボールを続け、ロサンゼルス、ソウルと2大会のオリンピック選手として活躍した。
東京五輪が開催されたこの年、瑞浪市出身の唯一のオリンピック選手が稲津にいたことを記憶に留めたい。彼の名前は、「岩島章博」。8月に開催されたパラリンピック聖火フェスティバル瑞浪市採火式のため帰郷した。偉大なる後輩である。
(M)
実業団時代のユニフォーム